桜井恵三氏がアマゾンで販売している電子書籍はコピペだらけ?2

桜井恵三氏がアマゾンで販売している電子書籍、「脳科学と音声工学が解明した楽しい英語学習」のコピペ疑惑第2弾です。今回流用・コピペ疑惑を追求するのは、「1.3.人間の脳とコンピュータの違い」についてです。

        :桜井恵三氏がアマゾンで販売している電子書籍における表現
        :流用元と思われるサイトでの表現
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例12
「“脳は 「自らが選択し取り込んだ情報を処理し出力する(取り出す)ために発達した器官」である。脳の目的は、自ら情報を選択すること、そして選択した情報を処理するための仕組みを創り出すことである。 

脳からの出力は、 この目的のための手段であり、脳の目的ではない。すなわち、脳から出力すること (言動、 認知および感情表出)は情報処理の仕組みを獲得するための手段である。この事を「学習は出力依存性である」 と言う。 例えば、風景をよく覚えようとするなら、その景色を百回眺めるより一回スケッチする方がよく覚えられるのは、脳の学習戦略が出力依存であるためである。ボケの防止には、 まず日常の生活の中で積極的に行動し、会話し、考え、感情を豊かに表現することである。

脳とコンピュータは、共に情報処理システムであることからよく比較される。コンピュータの目的は出力することである。コンピュータが入力情報を得ると、プログラムに従って情報を処理し、出力する。人はコンピュータが情報処理すべき情報を選択し、その情報処理の仕方をプログラムとしてあらかじめコンピュータに与える。コンピュータはこれに従って、命令されて動く情報処理機械である。

それに対し、脳は情報処理の仕組みを獲得することが目的で、出力することはそのための手段である。 すなわち、脳とコンピュータの情報処理システムとしての本質的違いは、目的と手段がちょうど入れ替わっている、ということである。

脳は情報処理の仕方を獲得することが目的であるので、 人の生きる目的はどれだけのことを成すか (どれだけの出力が得られるか)ではなく、情報処理の仕組みを創ること、 いわば高きに向かって成長するプロセスそのものにある、ということである。それは脳が自己 (人そのもの)であるとみなせるからである。 臓器移植が進んで、たとえ脳の移植が技術的に可能になったとしても、脳を移植されることは、自己そのものを失うことになり、脳の丸ごと移植は意味がない。脳は自己そのものであり、脳の目的は人の生きる目的である、と考えられるからである。

こうして人生の目的は頂点に立つことではなく、苦しくても高きに向かって進んでゆくプロセスにある。 山に登る人が 「なぜ山に登るのか。」 と尋ねられた時、「そこに山があるから。」と答えるのは、まさに合脳的であると言える。山に登るのに頂点が必要なのは、高きに向かって進むためのあくまで指標であって、 頂点に達することが目的ではない。山に登って時々小高い丘に立ち止まり、自分がどれだけ引き上がったかの確認のために頂点が必要なのである。

システムの評価はその目的に対して行われるべきであろう。コンピュータは、出力することが目的であるので、 コンピュータがどれだけのことができるかの出来高でコンピュータが評価されるのは正当である。 実際、 コンピュータに対しては、このような評価が行われている。これに対し、人は成長するプロセスそのものに目的があるので、人がどれだけのことを現在成すことができるのか、過去成した出来高で評価することは、脳本来の目的に適わず人を苦しめる。出来高評価で、挑戦して失敗することに高い評価を与えない時、人は飛躍的に大きな成長をすることは決してできないだろう。

人本来の目的が高きに向かって成長することであるから、成長にあるプロセス自体が重要なのであって、 そのプロセスの中に喜びが感じられるよう、本来的に創造されているのである。たとえ、高校野球で122対0で負けて、位置としては極めて低い状況の中にあっても、野球そのものに一生懸命取り組んでいる時、選手たちには至福感があり、それを観ている私たちもその姿に感動するよう、脳は生得的に仕組まれている。人の幸福はその人の居る位置(その人の出来高)ではなく、高きに向かって進もうと努力するその傾きの度合である。この視点からの幸福では、その人の位置がむしろ低い方が高きに向かうベクトルの傾きを大きくすることがより容易にできる。”」

「  脳は 「自らが選択し取り込んだ情報を処理し出力する (取り出す) ために発達した器官」 である。 脳の目的は、 自ら情報を選択すること、 そして選択した情報を処理するための仕組みを創り出すことである。 脳からの出力は、 この目的のための手段であり、 脳の目的ではない。 すなわち、 脳から出力すること (言動、 認知および感情表出) は情報処理の仕組みを獲得するための手段である。 この事を 「学習は出力依存性である」 と言う。 例えば、 風景をよく覚えようとするなら、 その景色を百回眺めるより一回スケッチする方がよく覚えられるのは、 脳の学習戦略が出力依存であるためである。 ボケの防止には、 まず日常の生活の中で積極的に行動し、 会話し、 考え、 感情を豊かに表現することである。
  脳とコンピュータは、 共に情報処理システムであることからよく比較される。 コンピュータの目的は出力することである。 コンピュータが入力情報を得ると、 プログラムに従って情報を処理し、 出力する。 人はコンピュータが情報処理すべき情報を選択し、 その情報処理の仕方をプログラムとしてあらかじめコンピュータに与える。 コンピュータはこれに従って、 命令されて動く情報処理機械である。 これに対し、 脳は、 情報処理の仕組みを獲得することが目的で、 出力することはそのための手段である。 すなわち、 脳とコンピュータの情報処理システムとしての本質的違いは、 目的と手段がちょうど入れ替わっている、 ということである。
  脳は情報処理の仕方を獲得することが目的であるので、 人の生きる目的はどれだけのことを成すか (どれだけの出力が得られるか) ではなく、 情報処理の仕組みを創ること、 いわば高きに向かって成長するプロセスそのものにある、 ということである。 それは脳は自己 (人そのもの) であるとみなせるからである。 臓器移植が進んで、 たとえ脳の移植が技術的に可能になったとしても、 脳を移植されることは、 自己そのものを失うことになり、 脳の丸ごと移植は意味がない。 脳は自己そのものであり、 脳の目的は人の生きる目的である、 と考えられるからである。 こうして人生の目的は、 頂点に立つことではなく、 苦しくても高きに向かって進んでゆくプロセスにある。 山に登る人が 「なぜ山に登るのか」 と尋ねられた時、 「そこに山があるから」 と答えるのは、 まさに合脳的であると言える。 山に登るのに頂点が必要なのは、 高きに向かって進むためのあくまで指標であって、 頂点に達することが目的ではない。 山に登って時々小高い丘に立ち止まり、 自分がどれだけ引き上がったかの確認のために頂点が必要なのである。
  システムの評価はその目的に対して行われるべきであろう。 コンピュータは、 出力することが目的であるので、 コンピュータがどれだけのことができるかの出来高でコンピュータが評価されるのは正当である。 実際、 コンピュータに対しては、 このような評価が行われている。 これに対し、 人は成長するプロセスそのものに目的があるので、 人がどれだけのことを現在成すことができるのか、 過去成したのかの出来高で評価することは、 脳本来の目的に適わず人を苦しめる。 出来高評価で、 挑戦して失敗することに高い評価を与えない時、 人は飛躍的に大きな成長をすることは決してできないだろう。 人本来の目的が高きに向かって成長することであるから、 成長にあるプロセス自体が重要なのであって、 そのプロセスの中に喜びが感じられるよう、 本来的に創造されているのである。 たとえ、 高校野球で122対0で負けて、 位置としては極めて低い状況の中にあっても、 野球そのものに一生懸命取り組んでいる時、 選手たちには至福感があり、 それを観ている私たちもその姿に感動するよう、 脳は生得的に仕組まれている。 人の幸福はその人の居る位置 (その人の出来高) ではなく、 高きに向かって進もうと努力するその傾きの度合である。 この視点からの幸福では、 その人の位置がむしろ低い方が高きに向かうベクトルの傾きを大きくすることがより容易にできる。 」

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【流用元と思われるサイト】
「脳科学からの提言 ――人が輝いて生きることのできる社会――、松本 元 :(理化学研究所 脳科学総合研究センター ブレインウェイ(脳道)グループ グループディレクター)」
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流用・コピペ疑惑のある文章/桜井恵三氏の文章 = 1634/2183(各々スペース不含の文字数)。
流用・コピペと思われるボリューム:74.9%。

「理化学研究所、脳科学総合研究センターの松本元氏は次のように言っております。」と語りながら、その出典を明らかにせず、章の3/4、原稿用紙で4枚分以上という引用の域を超えた多量な範囲を松本元氏の言で埋め尽くし自分の正当性の根拠にするという絵に描いたような桜井恵三氏による盗用行為が行われています。

桜井恵三氏は第三者の研究の成果を拝借する行為についてどう考えているのでしょうか?「科学」を語る人間は他人の研究成果を尊重しなければなりません。それ故に引用についてのルールが存在します。以前にも書きましたが、桜井氏はネットで閲覧可能な文書は全て著作権が放棄されたものと思い込んでいるという思いを新たにしました。


桜井恵三氏がアマゾンで販売している電子書籍はコピペだらけ?2」への2件のフィードバック

  1. ご無沙汰しております。
    詳細なご検証、とても勉強になりました。松本先生も災難ですね。亡くなられてからだいぶ経っているようですが…。
    桜井氏の最近の書き込みも先ほど確認しました。盗人猛々しいと申しますか、あまりの開き直りに、呆れて言葉も出てきません。権利者の申し立てがないのをいいことに、やりたい放題のようですね。

  2. 管理人様 こちらこそ御無沙汰しております。

    桜井氏の暴挙に対しこれまでと異なることは、氏がamazonという媒体を利用して盗用にまみれたメディアを公開していることです。
    幸いなことに(?)amazonで販売している全ての品にreview機能があります。権利者の申し立てが無くとも、このサイトを閲覧している方々がreviewerとして桜井氏の盗用の証しに当サイトをreview内で紹介いただければ幸いと考えております。
    今後ともよろしくお願いいたします。

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