桜井恵三氏の商用サイトは流用・コピペだらけ?15

桜井恵三氏が運営する商用サイト、www.eikaiwanopl.jpにおけるコピペ疑惑追求 第15弾です。
これまでに確認した桜井恵三氏作成の上記サイトを含む流用・コピペ疑惑については下記を参照下さい。

今回 流用・コピペ疑惑を追求するのは、このページです。

秋田県に標準語を話す村がある

www.eikaiwanopl.jp/information/eikaiwahowto/akitakennomura.html
http://megalodon.jp/2011-1212-2210-24/www.eikaiwanopl.jp/information/history/baitairekishi.html
(2011年12月12日時点でのウェブ魚拓)

該当サイトにおける流用・コピペ疑惑の数が100を超えました。

        :桜井恵三氏の商用サイトにおける表現
        :流用元と思われるサイトでの表現
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例89
「平成の大合併によって、現在は横手市の一画になってしまいましたが、秋田県の旧西成瀬村の西成瀬小学校の卒業生の故郷は、澄んだ音声の標準語に近い言葉を話し、標準語を話す村と呼ばれています。」

「平成の大合併によって、現在は横手市の一画になってしまったが、秋田県の旧西成瀬村の西成瀬小学校の卒業生は、澄んだ音声の標準語を話し、村は「標準語村」と呼称される。」
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例89
「この西成瀬小学校のある地は、かつては交通の難所ともいわれた。国鉄の駅から遠く、雪が深く、耕地は山にへばりつき狭く、貧しい村でありました。秋田県人は、ズーズー弁といわれるが、口を大きく開かないし、舌の動きが滑らかでないので、シとス、チとツ、ジとズの区別がはっきりしないのです。寿司(スシ)と煤(スス)を区別して発音できないそうです。 東北出身の兵士が軍隊で「ススメ」を「シシメ」と発音して、「それでは軍は進めない」と上官から殴られたという話をよく聞いたそうです。」

「この西成瀬小学校のある地は、かつては交通の難所ともいわれた。国鉄の駅から遠く、雪が深く、耕地は山にへばりつき狭く、貧しい村であった。
 秋田県人は、ズーズー弁といわれるが、口を大きく開かないし、舌の動きが滑らかでないので、シとス、チとツ、ジとズの区別がはっきりしない。寿司(スシ)と煤(スス)を区別して発音できない。
 東北出身の兵士が軍隊で「ススメ」を「シシメ」と発音して、「それでは軍は進めない」と上官から殴られたという話をよく聞く。」

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例90
「明治以前の藩体制では、日本全体を視野に入れた共通の話し言葉の必要はありませんでした。薩摩藩のように意図的に違う言葉を使う藩もありました。しかし、明治以降に近代国民国家を形成していくためには、日本全体で使える共通語が必要でありました。教育の普及にはもちろんですが、社会も自由民権運動、言文一致運動を推進するために国民各層に通ずる話しことばを必要としました。」

「明治以前の藩体制では、日本全体を視野に入れた話しことばは必要なかった。
 しかし、近代国民国家を形成していくためには、広く国中に通ずる共通語がぜひ必要であった。教育の普及にはもちろんであるが、社会も自由民権運動、言文一致運動を推進するために国民各層に通ずる話しことばを必要とした。」

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例91
「文部省は、1900年(明治33年)4月に、前島密を委員長とした国語調査委員を任命し、国語の研究と改良を目ざした国語調査委員会の発足を準備しました」

「文部省は、明治33年4月に、前島密を委員長とした国語調査委員を任命し、国語の研究と改良を目ざした国語調査委員会の発足を準備した。」
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例92
「このように政府は全国規模で次々と国語、特に話し言葉の標準語化を進めていきました。これに呼応して、秋田県も標準語教育には熱心であり、小学校令施行規則が発布された年にはすでに秋田県師範学校教諭の小泉秀之助が「東北地方教科適用発音と文法」を1900年に刊行しました。」

「このように国は次々と国語、わけても話しことばの標準語化を進めていった。
 これに呼応して、秋田県でも標準語教育には熱心であった。小学校令施行規則が発布された年にはすでに秋田県師範学校教諭の小泉秀之助が『東北地方教科適用発音と文法』(東海林書房、明治33年3月27日)を刊行している。」

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例93
「同書には英語の発音教則本にはおなじみの口形図を掲げ、秋田方言を直そうとしました。口形図とは今でも一部の英語に教材に使われている口の形を示すものです。秋田の小、中学校の教師は、この時すでに発音指導の必要性を感じておりました。」

「 同書は口形図を掲げ、秋田方言を正そうとしたもので、秋田の小、中学校の教師は、この時すでに発音指導の必要性を学んでいたはずである。」
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例94
「しかし、秋田県のズーズー弁は一向に改良されなかったようです。1908年(明治41年)の秋田県森知事の秋田県教育基本方針には次のごとくあります。「本県の初等教育たる近来一般に進歩の跡を認めたりといえども、教授上においてはなお発音の不良、読書力の不足、算数理化学の不成績等深く遺憾とする所なり。」とあります。」

「しかし、秋田県のズーズー弁は一向に改良されなかったようだ。
 明治41年の秋田県森知事の秋田県教育基本方針には次のごとくある。

 本県の初等教育たる近来一般に進歩の跡を認めたりといえども、教授上においてはなほ発音の不良・読書力の不足・算数理化学の不成績等深く遺憾とする所なり。」
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例95
「西成瀬小学校の遠藤熊吉氏は伊沢修二の視話法を、「聞くところがない」と批判し取り入れませんでした。」

「遠藤は、話すことだけの教育である伊沢修二の視話法を、「聞くところがない」と批判したそうである。」
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例96
「このような環境の中で遠藤熊吉氏は「言語教育は、始めに生活あり」で、「言語教育は具体的な言語生活の積極的指導である」と主張しました。この「言語教育の理論及び実際」は、1895年(明治28年)に教職について1929年(昭和3年)に退職を機に33年の経験をもとに著述した書であり、上はその冒頭だけに彼の理論の根幹をなします。」

「 このように遠藤は、「言語教育は、初めに生活あり」で、「言語教育は具体的な言語生活の積極的指導である」と主張する。
 この『言語教育の理論及び実際』は、明治28年に教職について昭和3年に退職を機に33年の経験をもとに著述した書であり、上はその冒頭だけに彼の理論の根幹をなす。」

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例97
「音素ベースを否定していた彼は訛音を矯正するのに音声を体系的に取り入れ訛りを矯正しようとはしませんでした。小泉秀之助の「発音と文法」のように発音を文法と結びつけようなどとはしなかったのです。遠藤は西成瀬村の人々が陥っているなまりの部分だけに焦点を当てて次のように具体的に矯正したのです。」

「 また、彼は訛音(なまり)を矯正するのに体系的に矯正しようとはしない。だから、たとえば小泉秀之助の『発音と文法』のように発音を文法と結びつけようなどとはしない。遠藤は西成瀬村の人々が陥っているなまりの部分だけに焦点を当てて矯正する。」
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例98
「訛音「イ」は稍々舌頭を下げ、下歯を圧して発音する。之を矯正するには、標準音の口形舌動を示し、舌の前部を高める事によく注意させる。訛音「エ」はともすればイ、エの中間音であって標準音「イ」を訛音「エ」の如く聞取り、歯を離す者がある。此の「イ」音を言はせるには、必ず児童の歯を見て、開くことのない様に注意する事が肝要である。之でも、なほ了解しないものには、下歯の齦を箸などにてつき、此の部分を舌で圧さない様に注意してやらねばならぬ。
訛音「ウ」は唇音なれば、唇を使はない様にすること。標準音の如く舌の後部を高く上げることをよく説明せねばならぬ。幼年児童は特に舌を引込め、舌の先を下げるといふ方が分り易い。カ行の「ク」音が出来た時に「ウ」を練習すれば「ウ」音の発音に困難する者も容易にできる。」

「 訛音『イ』は稍々舌頭を下げ、下歯を圧して発音する。之を矯正するには、標準音の口形舌動を示し、舌の前部を高める事によく注意させる。訛音『エ』はともすればイ、エの中間音であって標準音『イ』を訛音『エ』の如く聞取り、歯を離す者がある。此の『イ』音を言はせるには、必ず児童の歯を見て、開くことのない様に注意する事が肝要である。之でも、なほ了解しないものには、下歯の齦を箸などにてつき、此の部分を舌で圧さない様に注意してやらねばならぬ。
 訛音『ウ』は唇音なれば、唇を使はない様にすること。標準音の如く舌の後部を高く上げることをよく説明せねばならぬ。幼年児童は特に舌を引込め、舌の先を下げるといふ方が分り易い。
 カ行の『ク』音が出来た時に『ウ』を練習すれば『ウ』音の発音に困難する者も容易にできる。」

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例99
「通常の言語教育は、「話す」「書く」を重視するものですが遠藤熊吉氏は「聞く生活が、話し、書く生活に先行する」として聞く教育を重視しました。遠藤熊吉氏は言語教育でありますが、氏は、聞方指導とは、「言語を言語活動そのものの姿で聴き、語彙を収得し、言語の意味話の内容を適確、迅速に捉へる」ように啓発すべきだとしました。さらに彼は、「言語の生命である微妙な語感、語調は専ら聞方によって捉へる」として「言語活動の真実相は聞方によってのみ把握される」としました。言語指導においてこれほど聞き方を重視する指導法は他に類を見ません。」

「 このような遠藤の言語教育であるから、普通、言語教育は、「話す」「書く」を重視しているが、彼は、「聴く生活が、話し、書く生活に先行する」として聴方教育を重視する。
 遠藤は、聴方指導とは、「言語を言語活動そのものの姿で聴き、語彙を収得し、言語の意味話の内容を適確、迅速に捉へる」ように啓発すべきだとする。
 さらに彼は、「言語の生命である微妙な語感、語調は専ら聴方によって捉へる」として「言語活動の真実相は聴方によってのみ把握される」とする。
 言語指導においてこれほど聴き方を重視する指導法は類を見ない。」

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例100
「しかし、考えてみれば、言語生活の中で聞く生活が私達にとって一番多い時間です。また遠藤熊吉氏は、話し方の様式を「対話」、「独演」、「討論」の三つとして、「対話」を最重要視しました。これも彼が話す場面の実際は、対話が一番多いからという考えからでした。彼は「対話形式が言語生活の常態である」として、「言語活動の実相は、対話形式に最もよくあらわれる」としました。さらに彼は「対話において言語は特に精彩を帯び、一層能動的になる」として対話の心理活動で「言語機能、言語活動が発達し、複数、微妙となるので、特に対話を重視」と言いました。「言語教育の理論及び実際」には話し方の実践例が多数ありますが、対話の例が圧倒的に多く、「対話が出来れば独演も出来る様になる」と遠藤は言いました。正しい発音のできる1年生は作文でもその能力を発揮して、彼の話し言葉教育の徹底が作文指導にも有効であることを証明しています。」

「 しかし、考えてみれば、言語生活の中で聞く生活が私達にとって一番多い時間である。遠藤は、話すことだけの教育である伊沢修二の視話法を、「聞くところがない」と批判したそうである。視話法は発音矯正の一方法で、発音の際の口の動き方を記号にしてこれにより発音運動を知覚し、音を耳にしないで発音を修得する。
 遠藤熊吉は、話方の様式を「対話」、「独演」、「討論」の三つとするが、「対話」を最重要視している。これも彼が話す場面の実際は、対話が一番多いからという考えからであろう。
 彼は「対話形式が言語生活の常態である」として、「言語活動の実相は、対話形式に最もよくあらわれる」とする。さらに彼は「対話において言語は特に精彩を帯び、一層能動的になる」として対話の心理活動で「言語機能、言語活動が発達し、複数、微妙となるので、特に対話を重視」というのである。
 『言語教育の理論及び実際』には話し方の実践例が多数あるが、対話の例が圧倒的に多く、「対話が出来れば独演も出来る様になる」と遠藤はいう。
 遠藤熊吉の話しことば教育は言語生活という語で表現されるように、ことばは生活の中で使われるものであるという前提に立つから、彼の話しことばの題材は生徒達の日常生活であった。」

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例101
「遠藤熊吉氏発音学習は、特に生徒の入学と共に直ちに発音矯正を始めました。入学時、生活の転換期には、総てものを、容易且つ自然に受容する事が出来ると考えこの時期に矯正を怠る事は、虚しく矯正の好機を逸するに等しいと信じていたからです。」

「最も緊急なことは、入学と共に、直ちに発音矯正を始めることであるが、入学時、生活の転換期には、総てものを、容易且つ自然に受容する事が出来る。此の時期に矯正を怠る事は、虚しく矯正の好機を逸するに等しい。」
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例102
「遠藤熊吉氏の標準語教育は、単に発音指導ではなく、独話、対話、討論を通じ、「生活内容の自由表現を目的」としたものでありました。特に遠藤熊吉氏は対話を重視しました。対話を重視する事により、話す事の喜びを体験させたかったのかもしれません。」

「 遠藤熊吉の標準語教育は、単に発音指導ではなく、独話、対話、討論を通じ、「生活内容の自由表現を目的」としたものであったが、入学して間もない生徒が上のような作文を書くのは、彼の話し言葉教育の徹底ぶりを示すばかりか作文指導に対する話し言葉の有効性を示すものである。」
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【例89~102の流用元と思われるサイト】
西成瀬の話しことば教育 標準語村の生成と展開
http://nishinaruse.sakuraweb.com/kotoba/hojo01.html
【例89~ 94】 3.標準語教育の歴史
【例95~101】 4.遠藤熊吉の標準語教育
【例102】 6.北方教育と標準語教育
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流用・コピペ疑惑のある文章/桜井恵三氏の文章 = 2567/3798(各々スペース不含の文字数)。
流用・コピペと思われるボリューム:67.6%。

いつものように他人様の文章をコピペする桜井恵三氏の見慣れた風景です。
コピペ部分ではありませんが、今回紹介するページにも興味深い事実があります。

引用ここから

遠藤熊吉氏の指導が実を結んだのは、この地域に吉乃鉱山という全国から人々が集まる場があったことも一因ではありますが、日本においてそのような地域はたくさんあっても標準語を話しておりませんので、遠藤氏の教育が正しかった事が大きな要因に違いありません。最大の要因としては遠藤熊吉氏の教育の特徴として聞く事を重視した点です。テープレコーダーのような録音機が無い100年前に正しい発音を身に付けるのは大変難しい事ですが、聞く事が最善であったと思われます。そして彼は入学した小学1年生から始める事により、臨界期前に発音を矯正させたことも成功の一つです。そして彼は常に言葉には書き言葉と話し言葉があり、話し言葉がより重要である事を認識しておりました。

ここまで(赤文字は筆者)

桜井氏のサイトから引用した文章の中に「臨界期前」という語が登場しますが、桜井恵三氏は明らかにその意味を誤解して用いています。「臨界期」と言えば、この言葉に関する桜井恵三氏の2ちゃんねるにおける有名な発言が「バカのテンプレ」の一つとしてまとめられています。

672 : 名無しさん@英語勉強中:2008/05/14(水) 02:23:43
バカのテンプレ特集 第5363弾

【住民のレス】
臨界期は音素というカテゴライズを何も学習しなくても自分自らで学習しえる期間のことだよw
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【桜井のレス】
臨界期とは言語を自然に学ぶことが難しくなる期間の事だ。
限界の期間を表している。
お前の定義は臨界期前の事が書いてある。
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【続けて桜井のレス】
臨界期くらいは詳しい知識を持って議論しないと馬鹿にされるぞ!
言語学習の基本中の基本だ。
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【住民のレス】
・あ~あ、またやっちゃった。
・でしょw ほんと汚物は馬鹿なんだからw
・これもまたバカのテンプレ入りだねw
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【解説】
桜井、住民の反応に不安を感じ、逃走。
住民が寝静まった後で…
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【桜井のレス】
お前らはなぜ、つまらん邪魔せずに、
俺の基本理論に堂々と異論や反論を述べないのか?
述べられないのか?
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【編集者からひとこと】
臨界期くらいは詳しい知識を持って議論しないと馬鹿にされるぞ!
言語学習の基本中の基本だ。

初出:【汚物】発音をよくするスレ音素7【最終処分】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/english/1210583400/
http://mimizun.com/log/2ch/english/1210583400/

2ちゃんねるで住人から散々説明を受けたにも関わらず「臨界期」のことが理解できない。
「臨界期」を含め言語学を語る上での基本的な知識が欠けていても、表面的には「科学的」で正しいことであるかのような言説を繰り返す。
揚げ句には自説の学術的正しさを訴える宣伝サイトで、誤解したままの定義を用いる。
「臨界期」だけではなく「最適性理論」についても同様の傾向が見られます。

このような誤解とそれに基づいた説の流布が発生する理由として、桜井恵三氏の知的資質による部分があるのはもちろんですが、氏が恒常的にコピペを行っているために言葉に対する意識・注意力・重みというものが欠落してしまっているのではないかとも推測しています。
桜井恵三氏が自分の言動の誤りに気付かない限りは彼に対するナマ暖かい視線を浴びせ続けると共に、桜井恵三氏による被害に遭遇する人物がこれ以上増えないことを切に祈ります。